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三条別院|浄土真宗 真宗大谷派
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教区坊守研修会 開催報告

 

開催日:2022年5月16日(月)

テーマ:『最初の念仏者「わたしたちの」韋提希』

講 師:落合誓子氏(能登教区第10組乗光寺)

報 告:坂部紀美子(第22組安入寺・教区坊守会役員)

 

 

『最初の念仏者「わたしたちの」韋提希』をテーマに、坊守研修会を開催しました。講師は、能登教区乗光寺坊守でルポルタージュライター・作家の落合誓子先生。参加者は会場36名、オンライン(ZOOM)22名でした。

韋提希に象徴される女性の問題。観無量寿経の物語は、王舎城の跡継ぎ問題が語られますが、前段として、先生ご自身が体験された原風景、お寺の跡継ぎ問題から講義はスタートしました。お寺の一人娘であったが故に、周囲の大人たちからかけられた言葉に傷ついた子供時代、身分違いだと結婚を反対されたこと、女性住職がまだ許されていなかった現実。お寺を離れ、さまよい出すようにウーマンリブに出あい、生きにくさは、自分だけの体験ではなく、差別のある環境が問題と知り、そこから立ち上がって行く道を見いだされました。20年をかけて先生が出あってきたものは、韋提希が生きた釈迦の時代のインドの価値観が、今もあまり変わらないのではないかということ。そして、その根っこにあるのはインドの差別とおさえられました。釈迦以前のインドで、「マヌの法典」に〔婦人の本性〕が定められ、女性が僧侶や住職になれなかった原点であるとお話しくださいました。中国を経由し、時代を越え、様々な社会や政治状況をくぐり抜けて今も残る差別。先生はマヌに出あって、仏教とヒンドゥー教の対比の中で仏教を聞き、その中で「女たちの謀叛」を執筆されたそうです。

 

講師の落合誓子氏

 

語り継がれた観経の物語に違和感をおぼえ、実際の話と違うのでは?と北陸聞法道場を訪ね、子を殺めようとした愚かな韋提希の物語は、つくり話であり、それは観経疏に由来すること、根底に女性蔑視を前提とした物語であることをつきとめます。親鸞聖人が一言も触れていないこの物語にたよらずとも、素晴らしい仏教経典である観経。インドで仏教によって人間が生まれた!という物語であり、ヒンドゥーの社会の、おそれ、ふるえ、そして苦しみをはっきりさせたと教えてくださいました。そして、経典を誰の反論にもしっかり耐える形で「読み替え」て、新しい時代を作っていくことこそ、魅力ある仏教を今の時代に開いていく手段の一つと信じていると伝えてくださいました。

 

座談の様子

 

各座談班からの質問にもお答え頂き、時間が足りないと感じるほど、内容の詰まった研修会となりました。

 

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